宮城県沿岸北部に位置する南三陸町。東日本大震災により、まさに「まちが無くなる」甚大な被害を受けた。
町の行政機関の中枢を担う木造の旧町役場は津波に飲み込まれ、津波に備えていたはずの防災庁舎も屋上まで浸水し、今は鉄骨のフレームだけが残るのみである。
自身も津波に飲み込まれ、何とか一命をとりとめた佐藤仁町長は、「何があっても人命を守る」町を目指し、震災後の復興の陣頭指揮を執っている。
津波対策の土木工事と並行して進められた、公営住宅、水産業の主軸を担う卸売市場、商店街等の整備につづき、震災後6年を経てようやく完成したのが、南三陸町役場庁舎だ。
役場庁舎は津波被害の怖れのない高台エリアを、新規に造成して建設された。周辺には庁舎の1年前に完成した公立病院や公営住宅も建ち、津波の教訓を生かした新たな行政拠点となっている。
この場所に庁舎を作るうえでの町長からのリクエストは、まず「安全であること」そして「敷居の低い庁舎」であった。行政拠点となる庁舎だが、ふつうの町民にとっては各種手続きの窓口としてのイメージが強い。カウンター越しの対応が、職員と町民とのバリアとなっているのでは、との懸念だ。そのイメージを払拭するためのアイディアが「マチドマ」というコンセプトである。
古い民家にある土間は、西洋の玄関と違い、飾らない外に開かれた場所である。家の土間から、町の土間へ。そして、開かれた気軽に利用できる場所は、震災によって失われた、あたりまえの居場所を取り戻すことにつながるのでは、との考えだ。
「マチドマ」というコンセプトが生まれた後、地元の高校生や商工会議所青年部などの若いメンバーを集め、そのコンセプトを具体化するためのワークショップが開催された。カフェの併設や、高齢者のバス待合に使える畳ベンチ、展示発表用の可動パネル、地元球団・楽天イーグルスのパブリックビューイング等に使える電動スクリーンなど、ユーザー目線の様々なアイディアが出された。
しかし、そのワークショップの中では建物単体に留まらず、まちの魅力や将来像などの多く意見があった。施設づくりから、まちづくりへ。震災という困難のなかでも、復興に対する確かな熱を感じた瞬間だった。
分水嶺に囲まれた南三陸町は、海山森の豊かな自然資源を持つ。それらが循環するまちづくりは、震災後、新たに町が掲げてる将来像でもある。その取組みの一つとして、南三陸町森林組合では「南三陸杉」をブランド化。森林保護の国際認証でもあるFSC認証の森林認証と加工の認証を取得している。
新しくできた役場庁舎には随所にこの南三陸杉が用いられ、町の魅力を伝える役目を果たしている。また、南三陸町を含む東北地方で伝統的に用いられる「キリコ」と呼ばれる飾りをモチーフにした可動パネルやサインを用いるなど、新しくとも親しみの湧くデザインが施されている。
2017年9月、人々の笑顔とともに役場庁舎はオープンした。開庁後訪れた人々は口をそろえて「明るく開放的な庁舎だ」という。様々な人の想いを乗せた自由な場でどのような使われ方がなされるか、この場所と南三陸町のこれからが非常に楽しみである。